だって、一人は寂しいよ
「官兵衛殿、秀吉様が御呼びだよ。行こう?」
気配も無く急に視界のど真ん中に半兵衛が現れることなど、有り触れた日常の一つに過ぎない。
それに慣れてしまっている己自信どうにかしているとも思うが、半兵衛と付き合っていればそれは自然なことだろう。
官兵衛は手にしていた書をゆっくりと閉じ、まるで半兵衛等視界に入らなかったかのように立ち上がった。その官兵衛のゆったりとした動きを、下から見上げると官兵衛の喉仏がひくりと動く。
「支度をしてくる、卿は先に行くが良い」
「なんで?待ってるよ。官兵衛殿と行きたいから誘ったんだから。折角両兵衛、二兵衛なんて呼ばれてるのに誘った相手に振られるなんて寂しいじゃん、俺が」
そう言われてしまうと返す言葉が見つからず、ただ一つ漏らすように「阿呆が」と吐き捨てると官兵衛は黙って支度を始めた。




散らして、世界に君の尊さを分け与えよう
風に揺れて舞い落ちる桜を見て半兵衛は一つ、溜息をついた。桜の季節も終わりを迎えようとしている。桜が好きな半兵衛としては物足りないのだが、今年はそれだけではなく散っていく桜の自らの生命を重ねてみていた。
「俺が死んだら、官兵衛殿のことを誰が支えるんだろう」
「私を、ではない。秀吉様をだ」
「秀吉様を支えられるのは官兵衛殿だけだから、官兵衛殿を支える人が必要なの」
そう言われてしまうと、確かに身内以外では半兵衛や官兵衛以上に秀吉へと進言出来る者は限られてくる。だからと言って官兵衛は、他者に支えて欲しい等とは思わない。
「卿は桜が好きか」
「好きだよ。でももう桜の季節も終わるね、散っちゃって悲しい」
半兵衛が告げるなり、官兵衛は徐に桜の幹を揺すり始める。然程強くは無い官兵衛の力に桜の木は大した反応も返さなかったが、官兵衛がじっと水晶を見て鬼の手を召喚しようか否か、そう迷っていることに気がつくと半兵衛は官兵衛を止めた。
「なんで俺が好きだ、って言ってるのに散らそうとするのさ」
「………卿は桜が散れば悲しむ。私は卿が逝けばそれ以上だと」
言いかけて、口を噤む官兵衛に大丈夫だとも言えず、ただ苦笑いを返すことしか出来なかった。
別れの日は、近い。




罪だと言われる行為を共にする覚悟ならある
切支丹等と言うものに興味は無い。
だがしかし城下で聞き捨てならない言葉を聞いた。切支丹の教えによれば、一夫一妻他者との交わりは禁じられた行為だと言う。
「これって、切支丹で言う所の罪に当たるんじゃないの?」
素朴な疑問を官兵衛に投げつけると、何処で覚えてきたとばかりに最上級の不機嫌な表情を見せ、官兵衛にしては珍しくいかにもと言ったようなわざとらしい溜息をもらした。
「卿は、罪だと言われる行為を共にする覚悟はあるか」
至極言いづらそうに口を開く官兵衛とは裏腹に、半兵衛の返事は早い。
「無いよ。だって、俺は罪なことだと思ってないから」





天使様になりたかった
「天使、って奴になったら官兵衛殿の言う『でうす』とやらに逢えるの?」
半兵衛の急な問いかけに、官兵衛は露骨に嫌そうな顔をした。
半兵衛が切支丹に興味が無いことなどはわかりきっているので、興味本位か或いはからかっているのか、どちらにしても官兵衛にとっては好ましくない。
馬鹿にされているとは思って等いないが、そう言う点では半兵衛と官兵衛の間には一つの線がある。官兵衛としては興味が無いことをわかりきっている相手に越えて来て欲しいとも思わないし、半兵衛ならば尚更だ。
大体、『天使』等と何処で覚えてきたのか、大方城下で仕入れてきた単語なのだろうが、それすらも官兵衛には想像つかない。
「でうすに御逢い出来るかどうか保証はせんが、私とは生涯まみえることは無くなるな」
「……やっぱりやめる」
「余計なことは考えないことだ」
そう告げると、一つ小さな舌打ちが響いた。





時が止まらなくてよかった
少し前まではこのまま時が止まってしまえばいいと思っていた。
そうしたら俺の抱えている病の進行は止まるだろう。
勿論、時が止まることなんてありえない事だと言うことはわかっている。それでも願ったのは、少しでも官兵衛殿の傍に居たいから。でももう、それを願うことはやめた。
傍らに黙ったまま座り込む官兵衛殿の手を取ると、少しだけ、本当に少しだけなんだけれど俺よりも温かい。官兵衛殿より体温が低いだなんて、どうにかしている。
「俺の分まで、寝て暮らせる世…堪能してよね」
頷く筈が無いなんてことぐらい、わかりきっている。でもこうして、俺の傍にいることで、ただでさえ少ない睡眠時間が更に少なくなるのを防げるなら時が進むことに感謝しなくちゃいけない。嗚呼、でも暫くは哀しくて睡眠不足になっちゃうかもね、なんて…自意識過剰。

もうすぐ、官兵衛殿が欲した天下がその瞳に映る。
その前にさよならだ。




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