篝火



篝火

 恋人同士というものは、何をするものなのであろうか。
 男女間の間柄であれば多少の想像はつく。
 想像、というのは何も石田が男女間の付き合いを持ったことがないと言う訳ではなく、そこまで心情的に深い関係を保ったことがないというだけだ。
 口付けて抱きしめて身体を重ねて、それでどうした。
 そこに情が篭っていた事等、何度あっただろうか。
 もしかしたら、一度もないのかもしれない。
 知らぬうちに関係は切れてまた新たな関係を結ぶ。
 その繰り返しだったように思える。
 なのでいざ、情の籠った相手を目の前にすると情けない事にどうしていいかわからなくなる。
 多分自分達は、所謂恋人同士という関係になるのだと、思う。
 自信はないが。
 一生に何回出せるかという程の勇気を振り絞って、大袈裟などではなく本当にそれ程の意気込みで思いを告げた。
 それが伝わり、多分…実ったのだと、思う。
 ただし普通とは違って二人の間を隔てる道は随分と長かった。  執務の関係上自ら赴く事は出来ず、秀吉の供をする時か直江が登城してくる時以外に逢う事は出来ない。
 時には業務的なものをこなすだけで顔を合わせただけの時とてある。  逢えない時間を互いに文を書き綴る事で埋めた。
 無論、紛失の恐れもあるので機密文書的に表面上は何事もないただの手紙を装って、けれども中身はこの国の行く末や睦言めいた事すら綴った。
 直江から直接「好きだ」と言われた事はなく、否あるのだがそれは大衆に向けて言うものと何ら変わりはなかったので数には入れない事にした。
 なので時々不安になる。
 恋人同士だと思っているのは自分だけなのではないのかと。
 けれど直江からの文にも、時折顔を合わせる時にも、確かに友人以上の関係だということは認識出来た。
 想いを告げた時にすべての勇気を振り絞ってしまった為か、今更聞くことなどできない。

俺の事が好きか、など。

 そもそも、そのような事を話さずとも他に意見を交わさねばならない事は沢山ある。
 第一にこの国の行く末を、己等の事など二の次だ。
 ただその中でも何度か、所謂逢瀬をしたことはあるのだ。
 無論、艶めいた事は一切ない。
 顔を合わせるだけでよかった。
 口付けを交わさずとも、身体を重ねずとも、確かに心は通っていた。
 それを慰みにただ、時を生きてきたのだ。
 いつかこの世を纏め上げ、秀頼を支え、そして直江と協力していく。  それだけが石田を生かしていたのだ。







 家康の台等は目に見えてわかるほどに明らかであるのに、武功派に襲われた際家康に助けを求めてしまったのがそもそもの間違いだったのだ。
 今更その時の己の行動を責めても何が変わる訳ではないが、いざ決戦ともなると武者震いなのだろうか。
 身体が震えた。
 ただ直江に逢いたいと思った。
 直江と共に練り上げた作戦に寸分の狂いもない。
 あとは家康が罠に掛かってくれるか否か。
 掛からずとも上杉が動く限り策は講じている。
 ただそれは何度かの打ち合わせと書状でのやり取りでしかないので、いざとなると本当に大丈夫なのだろうかと、苛まわれる。
 嗚呼ただ此処に、直江兼続と言う一人の男がいればどんなにか心強い事か。
 そう思ってしまう自分を、浅ましいとも思う。
 だが、求めずにはいられないのだ。
『兼続…』
 時間がない。
 最期にもう一度だけ逢いたいと思った。
 その時だ、上杉景勝共々直江が登城した。
 話さねばならない、作戦を、手を。
 確認しあわねば。
 現状を逐一知らせるには直江との距離があり過ぎる。
 上杉景勝が、忙しい男だと言うこと。
 そして決定的に、石田とも馬が合わないということは自分自身がよくわかっている。
 景勝と分かりあえるのはただ、家康が気に喰わないということだけだ。
 その景勝がこうして登城したというのは少し、有難かった。
 何より直江に逢える、それだけが石田の心を晴らせた。

「兼続」
「三成、久方振りだな。此方の準備は抜かりない、すぐに戻って兵を」
「兼続」

 言いかけた途中で石田が、名を呼び言葉を遮る。
 抱き締めたいと、友の抱擁でも良い。ただ直江に触れたいと思った。
 だが焦れた思いを抱いてもそう簡単に行動に踏み切れるほど石田は積極でも無い。
 それでも何とか、いつもとは違うのだと伝えたかった。
 お前に逢いたかったのだ、と。
 それが通じたのか否か、いつにない石田の様子に驚いたように直江が視線を向けた。
 緊張でもしているのだろうか。
 そう、単純に思った。
 だがそれが何か言葉を欲しがっているのだと、気がついた。
 それだけでも珍しいと思うのだ。
 あの人一倍プライドの高い石田が、不安に駆られているとでもいうのだろうか。

「どうした三成。義の名の下敗れる訳が無い、大丈夫だぞ」
「…、……あぁ…わかっている、大丈夫だ。兼続、其方は頼んだ」

 ふと、直江の口から漏れるその言葉を聞いて石田は我に返った。
 直江の頭の中にはもう、来たる戦のことで頭がいっぱいなのだ。
 直江兼続と言う男は、切り替えが早い男なのだ。
 戦場に立つ者なのだ。
 それなのに自分はいつまでも恋情に捕らわれていた。
 何処かで直江が己の事を惜しがってはくれぬかと、いらぬ期待をかけた。
 直江は、直江は恋人である前に一人の武人であった。
 軍神の意思を引き継ぐ、武人であることを忘れていた。

「あぁ、不義を許してはおけぬ。大丈夫だ三成、三成には島殿がいるだろう。不安がることはない、私達が敗れる訳にはいかんのだ」

 それでもお前はいない。
 口をつきそうになった言葉を無理矢理呑み込んで一度、頷く。
 せめて一泊、滞在すればいいものを時は無情に離していく。
 勝算はある。  それは揺るぎないものだ。
 だが妙な胸騒ぎがして
 もう逢えない気がして
 涙が、込み上げてきて
 最後かも知れないと、今まで過りもしなかった考えがふと脳裏に浮かんだ。
 それを抑え込もうと一歩前へ出る。
 それから直江の胸倉を掴んで、無理矢理引き寄せて
 けれども格好悪い事に、己の腕力では引き寄せ切れずに自然と己から歩み寄って

「兼続」

 そのまま口付けた。
 直江と交わす、初めての口付けであった。
 触れるだけの口付け、それなのにやはり決まらずに歯があたって少し痛い。
 口付けとはこんなにも痛いものだっただろうか。
 記憶を辿ればもっと、柔らかいものだった筈だ。
 だが、違うのだ。
 きっと、直江とする口付けだからこんなにも痛い。
 本当に好きな者と交わす、最初で最後の口付けだ。
 だからこんなにも、胸が痛むのだ。

「…また、逢おう。次はこの程度ではない」
「覚えて、…おこう」

 木々が吹き荒れて、驚いたように目を見開く直江を余所に、唇を離して手を離す。
 そうだ、覚えていてくれ。
 この痛みを忘れないでくれ。
 次はきっと、無いのだから。

「珍しいですね、殿が…近臣とはいえ人目のある場所で。何かありました?」
「何も無い。黙って見送れ」
「おぉ、怖い。…大丈夫ですよ、直江殿も言っていたでしょう。殿には左近がいるじゃないですか、きっと勝ちます」
「…どうだろうな」











『兼続は今、何をしているのだろうか』
 ふと石田の脳裏に直江との最後の日が蘇る。
 もう己は直江に逢うことも、秀頼を支えていく事も出来ない。
 生きる糧を失った男は今、最期の刻を待っていた。
 最後に直江に触れたのは何ヶ月も前の事で、けれどもまだあの時の痛みが忘れられない。
『お前は、覚えていてくれるのだろうか』
 この痛みを、この感情を。
 願わくば死する時は共に在りたいと、そう思っていたが口には出来なかった。
 きっと直江は、あの男はそのような事は望まないと言うのに。
 それでも、死しても尚、共に在りたいと思った。
 灼熱のような日差しが降り注ぐ。
 ただそれでも暑いとは感じなかった。
 これから死地へと赴く者にどうしてこの暑さを感じる必要があろうか。
 だがどうにも渇く喉だけは沈める事も出来ず、唾液を飲んでいたが耐えきれず湯を所望した。
 湯程度ならば、と思ったが差し出された干し柿は断った。
 干し柿は痰の毒だ。
 それに柿など齧ったらあの感触を忘れてしまいそうで、…多分これが一番の理由だ。
 感ぜることが出来るならば今一度、あの痛みを
 …痛みを

「連れて来い」

 野太い男の声が、直江のものであればいいのに。
 己を裁くその柄を握る者が、直江であればいいのに。
 嗚呼けれど、直江にこのような姿を見られるのは辛抱ならない。
 それでも直江を求めてしまうことは止められず。
 熱気を和らげるかのように吹いた温い一陣の風が頬を掠め、僅かに口端が綻んだ。
 死んだら燃やして欲しいと、ふとそう思った。
 灰になって彼の地まで行ければいい。
 願わくば共に、けれどこのような汚い自分をあの清廉な男に見せる事は出来ずに。
 清廉な男の中で、清廉な自分を残したままで逝こう。
 それは本当の自分ではないので出来れば忘れて欲しい。
 忘れて欲しいが、あの痛みだけは共に味わったあの感覚だけは。
 願わくば、願わくば。








  さらば友よ
  さらば愛しき者よ
  さらば、我が人生












FIN.
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