その唇で、紡ぐ愛



その唇で、紡ぐ愛

身分の違いなんてどうでもいい。
元を正せば一握りの人間以外は皆庶子だ。無論その中の一人に己も含まれている事は否定しないし、今だって大して偉い訳でも無い。
もっと突っ込んでしまえば半兵衛や官兵衛が仕える秀吉等は足軽以下の百姓上がりだ、それもつい最近まで。その秀吉が今、方々から『秀吉様』と呼ばれる。半兵衛もそう呼ぶ一人だ。百姓如きに敬意を払うのが嫌な訳では無い。先に言った通り半兵衛は身分など気にしないのだ、秀吉の人となりをみている。
『下剋上』等が流行る此処最近の風習からしてこのような事は十分有り得たし、当然だと思っている。ただ半兵衛が気に入らないことが一つ。
黒田官兵衛だ。
彼は半兵衛のことを「半兵衛」と名で呼ぶ。仮にも二つ年上なのだとか、そう言うことが言いたいのではない。むしろ気心知れた官兵衛にならば、そう呼ばれて構わない。
半兵衛が気になっているのはそこではなく、己のことを「竹中殿」だの「半兵衛殿」と呼ぶ大半のものが官兵衛のことを「あの男」「官兵衛」等と呼ぶ。

「気に入らないな〜」

ぽつりと呟くと傍にいた官兵衛が何事かと視線を送るが、声は掛けて来ない。どうせいつもと同じ半兵衛の独り言だと思っている。官兵衛が自ら話に乗ってくることがあるとすれば、半兵衛の知っている限り秀吉に関してのみだ。秀吉、と言っても秀吉を通して信長を指す場合もあるが、どちらにせよ半兵衛の呟き如きは耳に入れても反応してはくれない。
チェッ、とわざとらしく無視されたことを示唆し大げさに伸ばした足を組み直す。頭の後ろで手を組んで、寄りかかるようにして壁に倒れ込んだ。それから徐に口を開いてみる。

「官兵衛」
「何だ急に、用も無いのに呼ぶな」
「だって気に入らないんだもん、俺より下の奴が貴方のことを『官兵衛』って呼ぶのってどうなの?」
「私は気にせん。そのような小さな事に構っていられるか」
「おーれーが!気にするの」

組んだ手をばたばたとわざとらしく上下に振り、地団太を踏むように踵を畳へと叩きつける。その姿はさながら子供が駄々をこねているようであったが、官兵衛は敢えてそれを指摘しない。それどころか己が気にしないと言っているものを気にするとはどういった了見かが気になった。

「半兵衛よ、年甲斐の無い行動は控えよ」
「うっさいなぁ。大体さぁ、気に入らないんだよ。秀吉様や信長が呼ぶのはわかるよ、それはわかるけどでもあのえばり腐ってる奴等がそう呼ぶのは我慢ならない。貴方はあいつらより機転も利くし、大体呼び捨てなんて礼儀がなってない。さして親しい間柄でもないのにさ」

『あいつら』が誰を指すのか官兵衛の頭の中には数名がすぐに思い浮かぶ。それ程恨みを買っている訳だ、と一人ごちてみるが何故急に半兵衛がこのような事を言い出したかもよくわからない。恐らく己の悪口でも聞いたのだろうが、それこそ半兵衛には関係の無いことだ。
官兵衛にはそれら全てが理解しかねる感情だが、成程、おこがましい話ではあるが官兵衛の言う自分の立場を秀吉に置き換えてみると言いたいことも見えてくるような気がした。しかし、しかしである。秀吉はわかるにせよ、己はそこまで庇護されるべき立場の人間ではないだろうと、官兵衛は内心考えていた。確かに秀吉からは今現在、信頼を得ているとは思うが半兵衛程でもなければ、元の身分も半兵衛程ではない。故に、このように他者から蔑まれる扱いは当然とすら思っていた。

「卿が」
「わかった!」

言いたい意味がわかりかねる、そう言おうとした官兵衛の言葉を遮り、半兵衛が何かを閃いたとばかりに壁へと預けていた背を勢いよく起こし、ただじっと官兵衛を見て何やら笑みを浮かべる。それこそ本人に言えば機嫌を悪くするだろうが、幼子が悪戯を思いついたような笑みだ。恐らくあまり良いことは考えていないだろうが、いかにも、と言った風に聞いてほしそうな半兵衛の顔に、官兵衛は小さくため息をついた。

「なんだ」
「官兵衛殿」
「なんだ」
「だーかーら、俺今度から官兵衛殿って呼ぼうと思って」
「そうか」
「そうか、って反応うっすいなぁ。これなら俺だけが官兵衛殿って呼ぶ特別感と、俺が官兵衛殿を敬っているんだって事が周りにもわかるし、何より年上の自分よりちょっと秀でた男に「殿」付けされるっていうイヤガラセも出来て一石三鳥じゃない?やっぱ俺って天才的だなぁ。丁度なんて呼ぼうか悩んでいた所だったから良かった。だって官兵衛殿ってば歳の割に顔老けてるからさぁ…ねぇ?」
「…卿が可笑しいだけだ」

至極楽しそうに半兵衛は『官兵衛殿』と呼ぶことについての利点を述べていく。よくもそれだけ考えつくものだと内心関心する官兵衛であったが、聞いていくうちにどうも一番最後の理由が強いのではないのかとさえ思える程、半兵衛の笑みは悪戯心に満ちている。それはそれで気に等しないのだが、そこで「では私も」と言って意見を変えないのが官兵衛である。
一方の半兵衛は悪態をつく官兵衛を見ても、負の感情が湧かないどころかこういうところはやはり一枚自分が上手なのだと自覚する。恐らく官兵衛はこの一言にもっと様々な思いが籠っている事に気づいてはいないだろう。だが、今はそれでいいのだ。

掴みどころがなく少しのことで表情が一転二転する半兵衛の起伏の激しさに、官兵衛は相変わらずついていく事が出来ないのだが、少なからず感謝はしている。 半兵衛が公の場でも、私情でも、そう呼び続けることで官兵衛に一目置くものが増えてきたのもまた事実。
だがやはり、官兵衛は『半兵衛殿』とは呼ばない、それは官兵衛の、年下の意地でもある。
そんな所が幼くて可愛いと、思われていることがわかっているから尚更意地を張る。
恐らくこの意地は、二人の関係が続く以上生涯続くものなのだ。






FIN.
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