好きだ、好きだ、好きだ



好きだ、好きだ、好きだ

何故こうなったのか、官兵衛は暗闇の中手繰り寄せるようにして記憶の糸を引き寄せる。
秀吉の元へと登城したその帰り、半兵衛に誘われて半兵衛の邸へと来た。そこから半兵衛と暫く酒を片手に談笑したことまでは覚えている。その後の記憶は一切なく、気がついたら土間の中にいた。
日もとうに落ちているであろう時刻であるのに、灯り一つ燈さない所からみて今は使われていない場所であるようであった。屋外と屋内を繋ぐ中間的な場所に位置するこの場所は、隙間風が入り込んでき些か冷える。官兵衛派苦し紛れに足袋の足先を擦り合わせるようにして摩擦熱を送るが、ヒュウと強い風が吹き込んでくるとそれだけで意味の無いものになり果てた。
そして何よりこの土間を支える主だった柱であろう、太い柱へと括りつけられ身動きが取れない。柱の後ろで両手を組むように強く縛りあげている縄は、官兵衛如きの力では切れそうにも解けそうにもない。それどころか少し手を動かせば、処理しきれず飛び出している破片部が腕を擦り痛む。
再び、考える。 何故こうなったのか。敵襲等は無かった筈だ。
何故、己の身だけが此処にあるのか。
そこまで考えて漸く官兵衛は半兵衛の身のことを案じた。だが、半兵衛がいないとなれば家中が穏やかである訳がない。ならば半兵衛は無事なのだと思うと尚更、何故という思いが強くなる。
一つだけ、可能性を見出したがそれは官兵衛にとって最も考えつきたくない答えの一つであった。
気のせいだ、そう思いながら刻一刻と流れる刻の中思考を巡らせていたが、不意に小さく主張する己の腹の虫の音に官兵衛は何とも言えない表情を浮かべた。いずれ人が来るのであろうか、来なければこのまま餓死するのであろうか。流石に官兵衛が何日も邸に帰らず、登城もせずにいれば秀吉が捜索隊を出してくれるだろう。官兵衛の嫌な予感さえ的中しなければ、半兵衛もそれに加わってくれる筈だ。




日が落ちてからどれだけの刻が経ったのか、風通りが良過ぎる土間故に吹き込んでくる冷たい風にあたるとぶるりと身震いをした。足の先と先とを合わせて擦り合わせれば、そこから少しずつ熱を持ち始める。寒さには身体が徐々に順応してくる、というよりは感覚を失いつつあったのだが一つ、確かに感じるものがあった。それが今、官兵衛を困らせている。
意識すればするほどその感覚は研ぎ澄まされ、意識しないようにと思えば思うほど、意識してしまう。気を張っていないと、全てが台無しになってしまう。その極度の緊張感とこの状況に官兵衛の疲労は増した。
その時だ、ゆっくりと戸棚が開いたかと思うと眩しい程の光が官兵衛の眼を刺激した。一瞬あまりの眩しさにそれが誰なのかわかりかねたが、徐々に慣れて行く視界の先に一番想像したくない人物が立っていた。 官兵衛が良く知るこの男は、官兵衛が知っているいつもと変わらぬ笑みを浮かべたまま、そこに立っていたのだ。
探し当てた、そういう顔ではない。此処に居たのがわかっていた、そんな顔だ。

「官兵衛殿、眼が覚めた?おはよう」
「半兵衛」
「なあに?」

確かめるように名を呼ぶ。名を呼べば、返事が返ってくる。だとすればこの男は正真正銘、己の知っている竹中半兵衛その人なのであろう。言いたいことや聞きたいことは山ほどあるのだが、半兵衛の顔を見た途端何処かに行ってしまった。
眼が慣れてくると先程眩しいと思った光も、一般的な明るさだったと気付く。それ程、この土間の中は暗かった。半兵衛が付近を捜し、火をつける。ゆらりと揺れる炎を見ても、心が揺らぐだけで特に何も感じはしない。しかし半兵衛によって戸が閉められると、官兵衛はあからさまに反応を示した。
外との繋がりを断たれると官兵衛に残されたのは炎と、半兵衛だけだ。

「一体卿はどういうつもりだ」
「どういう…ってどういう意味?それより官兵衛殿、少し声が枯れているね。あれ以降水分とっていないんだから当然か、何か飲む?って言っても水ぐらいしか持ってきていないんだけど。流石に薬が入った酒じゃあ嫌でしょ?」

饒舌に喋る半兵衛はやけに機嫌がいい。それとは逆に官兵衛は気が滅入ってくる。酒の中に薬を入れた、と半兵衛は確かにそう言った。ならばこれは仕組まれたことなのだ。その半兵衛の策を易々と実行させてしまった己も不甲斐ないが、それは半兵衛を信じていたからこそだ。
少しばかり、その仕打ちに反抗するかのように声は出さずに首だけをゆっくりと横に振った。その動作が不思議なのか、官兵衛の目前迄近寄ってきては半兵衛が首を傾ける。

「酒の方がいいの?でも水しか無いから、我慢してよ」
「いらぬ」
「なんで?水分取らないと、官兵衛殿なんてただでさえ不健康なんだからすぐに干からびちゃうよ?それとも何か、別の理由があったりして…」

冗談っぽく笑う半兵衛の眼が研ぎ澄まされると、官兵衛の喉がヒクリと微かな動きを示した。気付いていて言っているのだと、瞬時に察した。だが察した所でとても官兵衛の口から発せられるものではない。
彼は、半兵衛は、同僚であり友であり恋仲でもある。その男の前で隠しごとなど無用と思うやもしれないいが、官兵衛にとてプライドはあるのだ。ましてや、下の事情等、この状態で言える訳がない。
官兵衛が押し黙っていると、あくまで素知らぬふりを通す半兵衛が官兵衛と同じ程の目線になる程しゃがみ込んで、もう一度笑った。この顔は企んでいる。恐らく官兵衛に「それ」を言わせたがっているのだろうが、だからと言って容易く折れるほど官兵衛も安い男ではない。

「本当、官兵衛殿は素直じゃないなぁ……まぁ、そういうところが可愛いんだけどね。ねぇ、喉渇かないの?俺本当に心配しているんだよ、官兵衛殿が干からびないか。それともあれかな、体内から水分を吸収できないなら外からの方がいいのかな、どう思う?官兵衛殿」

最後のチャンスだと、そう言っているような顔であった。
じっと半兵衛を見つめると、細められた瞳の奥に覗える思惑。正直に、喉が渇いているかと言えば官兵衛は首を縦に振らざるを得ない。水分の不足からなのか喉の粘膜が張り付きそうな程狭まっているのを、無理矢理唾液で潤しているような状態だ。だが今は欲してはいけない。口を開いては余計なことを言いそうで、官兵衛は堅く口を閉ざした。
膝の上に肘をつき、両頬を覆う様にして何度か身体ごと左右に揺らしては、官兵衛の答えを待つがその唇は一向に開かれない。細めていた眼を合わせ弧を描くとそこには笑みが浮かんでいた。半兵衛が怒っている。だが、だからといってこのような事で一々機嫌を取る事などしてはいられない。
その時だ、半兵衛の傍らに置かれた酒瓶に入った水が気付いた時には空になっていた。
無くなった水の代わりに官兵衛の身を襲う寒気と、解放感。そして後から追ってやってくる恥辱。水に濡れて官兵衛の髪は重力に逆らうこともせず力無くしなり、黒い衣服故目立ちはしないが水浸しになる衣服。そしてそこから微かにする異臭。

「少しは潤った?」

悪びれもせずに告げる半兵衛の顔を見れずに、顔を背ける。それが癇に障ったのか顎を掴まれ、無理矢理唇を重ねられた。渇いた口腔内を這いまわる半兵衛の舌に残った水分さえ搾り取ってやりたかった。捕えるように、半兵衛の舌を吸うと一層調子に乗ったのがわかる。
半兵衛の手が濡れた下腹部へと触れると俄かに官兵衛の表情が変わる。その表情の変化すら半兵衛には至近距離過ぎて見ることすら出来ないが、確かに感じることは出来る。嗚呼、嫌がっている。そうわかるだけで趣味の悪い話ではあるが、半兵衛の心は幼子のように弾むのだ。

「濡れてる」
「……卿が濡らしたのだろう」
「えー?うん……まぁ、そうなんだけど。その言い方はどうかと思うよ。もう少し言葉を選ばないと、まるで誘っているみたいに聞こえるじゃない?」
「そう言わせているのは誰だ」
「まぁ、俺なんだけど」

少しばかり唇を離して悪戯気に笑むと喉元へ噛みつくように口付る。そこからゆっくりと下へ下へ、唇が落ちて行く。胸元から官兵衛の身体を捕える縄を通り、そこから下腹部へと落ちる唇が寄せられる。わざとらしく臭いを嗅ぐ仕草を見せる半兵衛を、心底悪趣味だと思わずにはいられない。
クンと鼻を鳴らして、その臭いを確かめるように官兵衛の股間へと顔を埋めるその様は、間違いなく盛っている雄犬だ。普段猫だ猫だと思っていた半兵衛の、思わぬ一面である。敢えて手を使わずに少しずつ、唇で官兵衛の下腹部を覆う布を広げていく。
重苦しい服の隙間から見える下帯は確かな湿り気を帯びていたが、それが『なに』かを聞くのは野暮というものだ。その水分の要素は三つ程の液体から構成され、これから四つ目の液体が混ざり合う。半兵衛の唇が、四つ目を投入すると鼻を突く臭いが、強くなる。
それすらも半兵衛が欲したことで、次第に薄暗く静かな土間の中に呼吸が切れるような音が漏れ始める。時折混ざる艶を含んだ声音が荒くなり、一瞬詰まったかと思うと大きく息を吐き出した。
そこから広がる独特のにおいに半兵衛はまた嬉しそうに笑い、ぺろりと口周りを舐めた。半兵衛が顔を上げ、背を伸ばすように官兵衛へと口付ると己の体液が混ざり合った臭いが、嫌でも鼻孔をつき腹の底から何かが蠢くような気分になる。

「やめろ」
「俺は好きだけどね、官兵衛殿のにおい」
「卿の趣向が理解しかねる」
「なら理解してみようよ。『彼を知り己を知れば、百戦して殆うからず』ってね。官兵衛殿の知らない俺がたぁああっくさん見れるよ?手始めに今日はこのまま監禁ごっこしてみよっか」
「『ごっこ』ではなく、立派な監禁だ」
「そこに愛があるから問題無いって!」

半兵衛の言葉に引っかかりを覚え正論で返しては見るものの今の半兵衛には何を言っても無駄なようだと悟ると、官兵衛は呆れたような表情を浮かべ大きな溜息をついた。今更何を言った所でこの調子では到底抗えない。最後の砦も崩され醜態は存分に見せつけてしまった、ならばいっそ、共に興じるが上策。しかしただで乗るのも口惜しい、さればこそ。





「縄を解け、これでは卿に触れられぬ」






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