いざ、逝かん



いざ、逝かん

もはや官兵衛には見慣れた光景であった。
ごろりと畳の上で横になる半兵衛に一応の注意はするものの、それを正すのは半ば諦めかけている。官兵衛の忠告を聞かない半兵衛のように、半兵衛の独り言を官兵衛は受け流す。
そうしながら二人の時間をゆっくりと過ごしていたのだが、ある日突然、前触れもなく半兵衛が口を開いた。

「ねぇ、官兵衛殿は死ぬ時はどんな風に死にたい?」

書物を広げたまま何気なく呟く半兵衛の言葉に、官兵衛は頁をめくる手を止めた。顔を上げずに字面を追う様にして眼を伏せ、ぶらぶらと足を揺らしながら半兵衛は答えを待っているようであった。ただの独り言ではない。だが官兵衛はそれに応えうるだけの答えを持ち合わせてはいない。

「考えたこともない」
「なら俺と一緒に死んでよ」
「卿はどのような死を望む」

やはり顔は上げず、まるで日常会話をするかのように言葉を紡ぐ半兵衛に、官兵衛は些か不信感を覚えたがそれも一瞬で取り払われた。寝転がったまま次へと頁をめくる半兵衛の手は軽やかで、纏う雰囲気も穏やかだ。一瞬でも不信感を抱いた己を阿呆だと思いもしたが憂いが晴れることは喜ばしく思う。
共に、と請われた言葉を軽く受け流して半兵衛へと問う。この言葉遊びを楽しみに入ろうと、やや口元へ笑みを浮かべて問うと半兵衛の視線がキュッと研ぎ澄まされた。一瞬、何かの冗談かとも思ったが確かにその視線はほんの一瞬の間だけ、半兵衛の雄を映した。一オクターブ低くなるその言葉に、自然と生唾を飲み込む。

「首を絞めて、官兵衛殿の手で」
「窒息死は身体中の体液という体液が外に出、とてもではないが見てはいられないと言うが、…卿がそれを望むとは意外な」
「官兵衛殿の意地悪〜!好きな人の手に掛けられるっていうのがいいんじゃんか」
「それだけ聞けば綺麗な話だが、殺める方にも相応の力を労す大変な作業だ」
「俺の為に頑張ってよ〜、官兵衛殿は夢がないなぁ。じゃあ官兵衛殿は何がいいのさ」

そう問われてもやはり官兵衛には応えうる答えを持っていない。今すぐ考えろと言われた所で、頭の中にそう幾つもの死に方が入っている程官兵衛は拷問向きではないのだ。しかしだからといってそれを半兵衛の前で取り繕う為に何かしようという気も、無い。面白みのない回答だと半兵衛が一蹴することはわかっていた。

「衰弱死」

そう言った時の半兵衛の顔がいかにも、と言いそうなうんざりしたような表情で今その表情を本人に見せてやりたい気持ちにさせられた。それ程、官兵衛にとっては面白い表情だったのだ。微かに口端を上げて笑むと、今度はむっとする半兵衛。どうやら楽しんでいるのが見つかったらしい。
半兵衛が読んでいた本を閉じて、揺らしていた脚をピタリと止める。それからやたらと本気だと言わんばかりの、半兵衛にしては凛々しい表情を浮かべて忠告するようにピッと人差指を前に出した。

「そうしたら一緒じゃないじゃん」
「なんだ、そこは拘りなのか」
「そうだよ」
「ならば凍死だな、一番苦しまない」
「え〜、わざわざ勝家の方まで行って?面倒臭い…。それに官兵衛殿なんて寒がりなのに、わざわざ死ぬために寒い所に行く覚悟あるの?」
「…………大坂にとて雪は降る」
「凍死する程は降りません」

官兵衛の頭の中で知りうる知識の中で一番良いと思ったのだが、地理的なことを言われてしまえば一等面倒になってくる。ただでさえ、何の得にもならない旅であるのによりにもよって寒いところとは。実際にそう行く機会もないのだが、寒さを想像するだけで悪寒が走り官兵衛は無意識に腕を摩った。
その無意識の行動に半兵衛がニコニコと嬉しそうに笑みを浮かべるものだから、してやられたと思い何か他にないかと考えてみる。思えば、適当に言いくるめて話を終わらせてしまえばいいだけであるのに、いつの間にか半兵衛の話術に嵌められている気がして少しばかり悔しさを覚えた。
しかしそうは言った所でそう簡単に出てくる訳もなく、出た所でそれは己の望むもの…という表現も可笑しいのだが、兎も角それは推奨しかねるものばかりだ。

「では水死か」
「か、…って言われても」
「戦死…する程前へは出んな」
「あ、それ!こうしよう。鉄砲隊に撃たれそうになった官兵衛殿を守ろうとして俺が撃たれるんだけど、実は官兵衛殿迄貫通して結局守れなくて二人で死ぬんだ。そうしたら一緒だよ」

名案だと言わんばかりに半兵衛が手を叩く、その嬉しそうな顔を見ても何がそんなに嬉しいのかと官兵衛は疑問を感ぜずにはいられない。しかし、だからと言って半兵衛の話に同調するのも無視を決め込むのも官兵衛には出来ない。何故ならば、官兵衛は負けず嫌いだ。
半兵衛の思いを壊すのも忍びないが、官兵衛の心のうちにあることだけは伝えなければならない。それが己達が此処に居る意味なのだと。

「しかし半兵衛、我等が討たれるということは我が方が劣勢。即ち秀吉様が危険ということだ」
「あ、そうか。それは困るな〜秀吉様には寝て暮らせる世を作って貰わなきゃいけないのに」
「それに…卿と私が秀吉様を支えねば、誰が支える」
「三成とか、清正とか…あの辺がいるじゃん」
「出来ると思っているのか」
「俺達以上には、無理だね」

さらりと、あまりにも自信満々にそう告げるので自信家が、と頭の中でそう半兵衛に告げたが直接言わなかったのは官兵衛自身もそう思っているからだ。世に英雄多しと云えども補佐する者もそれなりにいる訳なのだが、官兵衛には自信があった。それに秀吉はああ見えて、案外人を見ている。秀吉の上に立つ訳ではないが、時には意見もせねばならない。そう言う所が、秀吉子飼いの武将には未だ足りてはいなかった。

「あーあ、これじゃあ俺と官兵衛殿の死に様計画が台無しだな」
「元より計画しているのは卿だけだ」
「良いんだよ、実際望んだ死に方が出来る人なんてそんなにいないんだから。夢見るだけならタダ。官兵衛殿は、どうしたい?」

そう問われて、やはり答えることは出来なかった。
言えるわけが無いのだ。
願わくば死する時は共に在りたい等と。
言えるわけが、無いのだ。
黙りこくる官兵衛の様子に、意地悪をしたと半兵衛が苦笑いを浮かべる。それから軽く官兵衛の膝を叩いて小さくかぶりを振った。さらりと揺れる前髪が、今日は揺れることがなくそのまま額へとはりつく。その半兵衛の表情から眼を逸らしたい衝動に駆られるが、逆に凝視するように、官兵衛はただじっとその顔を見つめていた。
それが、答えだ。
不意に半兵衛が息をつき、指先を天井へと向けくるりくるりと回して見せた。自然と官兵衛の顔は半兵衛からその指へと移行したが、やはりその顔へと引き戻される。

「言ったでしょ、夢見るだけならタダ。官兵衛殿の夢は、夢で終わるよ。俺が、終わらせる。官兵衛殿が、終わらせる。笑って暮らせる世の為にね」
「…寝て暮らせる世、の為ではないのか」
「それはアレ、不本意な形で今いやと言うほど経験した結果、そんなに良いものじゃないかもしれないと思い始めてきた訳」
「然様なことを言う等、卿らしくもない」

官兵衛の知っている竹中半兵衛と言う男は、その頭の中で幾重にも思考を重ね、苦悩した末に生み出したものをまるでなんでもないと言ったようにするりと口にする男なのだ。その自信に満ち溢れた意思の強い瞳を官兵衛は好ましいと思っていたのだが、今己の目の前に居る男にその瞳の強さは見られない。
その理由を知っているだけに、何も言えはしないのだ。
いつもの半兵衛の方がいいなどと言ったところで、『いつもの』半兵衛はもう『無理をした』半兵衛でしかない。それを求めるのは酷なことで、今の半兵衛を否定することでもある。 そういう官兵衛の気遣いをわかっているからこそ、半兵衛も何も言わない。
ただ緩やかに官兵衛の指を握り締め、小さく呟く。
二人の思考は繋がっていて、確かに同じ気持ちで、だがその夢は叶わない。
叶えてはいけない夢だ。
己の為に、互いの為に、天下の為に。

「首を絞めて」

触れた官兵衛の指を引いて、誘い出すように己の首許へと誘い出すが官兵衛の指は半兵衛の首に触れたまま、緩急すらつきもしない。次第に官兵衛の左手の金属部が触れる箇所から、身体全体へと冷気が伝わるような気がして半兵衛は笑みを零した。
首許から唇へと、その指を少しずつ移動させ口付ける。

「なんて、泰平を導く手に願うことじゃないけどね。夢は、夢で終わらせなきゃ。だから官兵衛殿も考えておいて、あとで答え合わせしよう」
「私の答えは変わらんと思うがな」
「気が変わるかもしれないでしょ。だから、ちゃんと考えておいて」

小さく、咳が漏れる。
それでも浮かべた笑みは消さずに、笑うと落ちそうになる瞼を必死に上げた。 瞼を下ろしてしまえば、上げる自信など無かった。
あとで、等と言っておきながらそれがいつくるかもわからない。もうそれは、一生来ないことなのかもしれないし、数分後かもしれない。

言えるわけが無いのだ。

あと数分、数時間、数日、数か月、どれだけ生きられるかもわからない相手に。
共に朽ち果てたいなどと、口が裂けても言えるわけが無い。




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