おにのめにもなみ



おにのめにもなみだ

今日は朝から散々な目にあった。
官兵衛の左手が「鬼の手」と呼ばれていることは官兵衛自身知っていたことではあるが、それをネタにされた。今日は、節分だと笑う秀吉を見て何が楽しいのだと一瞥すると、秀吉の人懐っこい顔がにっと更に緩んで官兵衛の背中を何度か叩く。秀吉特有のいつものスキンシップだろうと思ったのだが、それが甘かった。

「折角本家がおるんさ!今年の鬼役は官兵衛に決まりじゃろ」
「は?」
「ほれほれ官兵衛、早く逃げんと明日は目も当てられない顔になるぞ」

いまいち状況の掴み切れていない官兵衛を前にしても、秀吉はただにんまりと笑っていた。意味がわからないと思ったが、また秀吉の悪戯心でも動いたのだろうと思い直して大して気にもとめていなかったのだが、一人で廊下を歩いている時にそれは起きた。
コツン、と何かが当たった気がして振り返るとそこには大豆。何故、と拾い上げようとしたところで大豆の集中砲火が官兵衛の顔を直撃する。反射的に閉じた眼をゆっくりと、重々しく開くとその眼光にあてられたのか若侍が声を上げて逃げて行く。その声音は不思議と、楽しそうであった。
それから城中を歩く度に大豆を投げられる。その大豆一つ一つを勿体ないと拾い上げながら官兵衛は漸く秀吉の言ったことを理解した。
『鬼の本家』即ち鬼の手を持つ官兵衛を鬼役に見立てて節分をしようという魂胆らしい。
官兵衛が早々了承する訳もなく、各自ご自由に、という方針なのだろう着々と大豆を布袋へと納めて行く官兵衛の後ろ――曲がり角の廊下に人の気配がする。此処でくだらないと退城することも出来るのだが、一年に一度の余興ぐらい付き合ってやるかとゆっくり、後ろを振り返った。怯えるような声と共に投げつけられる弱々しい大豆は官兵衛の眼の前に転がって行き、それを易々と拾い上げる。
中には本気で投げつけてくる者も居り、それなりに痛みを感じることもあったが、それ以上に思わぬ収穫に官兵衛の心は弾んでいた。城内の殆どの者が官兵衛に向かって大豆を投げつけてくる、一人当たり1つ2つでは済まないのでかなりの収穫量だ。
形式上の挨拶を済ませ邸へ帰る頃には大きな布袋一杯の大豆になっており、それを抱え込むようにして道を行く。少しばかり、浮かれていたかもしれない。それを悟られぬように至極冷静な表情を保っては見るのだが、足取りばかりはどうにもならない。ゆっくりと歩いているつもりでも、やはり些か足早になってしまっていると自覚したが、自覚しては早くなり、緩めては早くなり、そうこう繰り返している内に門の前へと辿り着いてしまった。


外から帰り漸く落ち着いたと室に入ろうとした所で、ピタリと足を止める。襖から漏れる微かな光が客人をいることを示していた。最も、官兵衛が知る中で、こうも簡単に人の室に勝手に入ってくる者は只一人だ。

「どうかしたのか」
「うわっ、何その顔」

声を掛けるなり驚いたと言わんばかりに目を見開く半兵衛を見て、そんなにも酷い面なのかと顎先を撫でては手にしていた布袋を畳の上へと置いた。かなりの重量を孕んだその袋は横へと広がり口から少しばかり大豆が漏れると、半兵衛の指先がそれを拾い上げた。 少しばかり上機嫌な官兵衛と大豆の袋。些か不釣り合いではあるが半兵衛は大豆を指先で摘まんだまま、うーんと首を捻って考え込むような仕草をした。

「一応聞くけど…どうしたの、これ」
「節分だそうで、あてられた物を勿体ないのでかき集めてきた」
「何それ」
「勘違いするな、秀吉様の命だ」

一段下がる半兵衛の声音を聞いて、官兵衛が制止するように言葉を挟んだ。恐らく、官兵衛のことを面白く思わない者達が投げつけたのだろうと勘違いしている。それを訂正してはみたものの、半兵衛は未だに面白くなさそうな顔をしていた。
半兵衛は本日登城しなかった。故に知らないであろうと思ったのだが、ちらりと盗み見たその表情は未だに戻りそうにもない。官兵衛としては多少の痛みはあるものの、こんなにも大量の大豆が手に入っただけで儲けものだ。毎年大豆が手に入るのであれば、年に一度ぐらい余興に付き合ってもいいとさえ思った。
しかし半兵衛にはそれが面白くないらしい。普段よく回る口が閉ざされると官兵衛はその口の開き方がわからず、いつもただじっと半兵衛が口を開くのを待つのみだ。半兵衛もそんな官兵衛の気持ちをわかっているから、長くは黙らない。
遠慮がちに手を伸ばして、官兵衛の頬へと触れる。顔にもぶつけられたのであろう、いつもよりも少しばかり熱を持つ頬に見当違いな嫉妬をした。わかっていても抑えきれない感情をどう制御すればいいのか、そう考える一方で官兵衛の肌へと触れて行く。顔全体を撫でるように、首筋を撫できっちりと着込まれた襟元を崩して鎖骨を撫でる。
その間官兵衛は、ただ黙って半兵衛を見ていた。
半兵衛の手が袈裟を外しにかかるとそこからポロリと大豆が落ち、拾い上げようと官兵衛が手を伸ばすとそれよりも早く半兵衛が拾い上げ口の中に放り込んだ。口腔内を巡回させるように舌先で転がしてから、ゴクリとわざとらしく喉を鳴らして飲み込んだ。。

「官兵衛殿の味とか、しなかった。流石に、服の中には入ってないよね?これだけ普段から隙間なく守ってれば大丈夫だと思うけど、万が一の場合、俺…豆にだって嫉妬出来ちゃうよ?」
「疑うのならば確かめればいい」

特に他意があってそう言った訳ではないのだが、半兵衛の機嫌が悪くなるとやりにくくなるのは官兵衛の方なので、それならば身を差し出した方が早いと判断した。ただ少し、寒さを覚えるだけの話。
半兵衛が慣れた手つきで官兵衛の肌を覆う衣服を取り払う。官兵衛の協力あってのことではあるが、いとも容易く上半身を剥がれると肌へと纏わりつく外気に震えを感じた。
中途半端に肌蹴た羽織が腰元に小さな山を作ると、その上に衣が重なっていく。ひたり、肌へ触れる半兵衛の指先は外見を裏切るかのような冷たさだ。人差指が鎖骨を降りて真っ直ぐに腹部へと向かう。その指が一度跳ねたかと思うと、半兵衛が無邪気な顔で笑っていた。

「じゃあ、もしも出てきた時は覚悟してね」
「好きにせよ」

それ以外の答えを官兵衛は持ち合わせていない。喩え此処で半兵衛の機嫌を損ねる物が出ようが出まいが、此処までくればさして意味がないのだ。官兵衛の眼の中の大部分は相変わらず半兵衛が占めているのだが、視界の端に映る景色が徐々に変わっていく。襖から天井へ、ゆっくりと時が流れて行くようでそれは一瞬の出来事であった。
ぼんやりと、視点の定まらない虚ろな瞳は閉じればこのまま眠ってしまえそうだ。微かに唇を開くと、半兵衛の唇が重なりそこに少しばかりの熱を残して行く。少しずつ、だが確実に、じわじわと勢力を広げて行く半兵衛の唇と指は官兵衛にのみ触れるのだが、袴の上から下腹部を撫でたところでその反応は薄い。
相変わらず少しの声も出さない官兵衛になど、今更慣れている。ただ人より感覚が鈍く、その性格同様身体もマイペースなのだ。最初の頃は物足りなさを感じて焦れたが、今ではその楽しみ方を知っている。愛おしそうに指先を滑らせ、象る。半兵衛の指によって袴の上から露わになるそれは、未だ己の姿を曝け出してはいないが徐々にではあるが半兵衛の指先に導かれていた。

「流石にこっちは無いと思うけど、一応ね。官兵衛殿のことだから秀吉様の命令だったらなんでもしちゃいそうだもんなぁ〜。豆、ナカに突っ込まれたりなんてしてないよね?」
「……然様なことを考えるのは卿だけだ」
「そんなことないよ。それに俺、別に俺突っ込みたいなんて言ってな」

半兵衛の思わぬ問いかけに官兵衛は苦々しそうな表情をした後、その言葉を遮るように告げふいっとそっぽを向き小さく溜息をついた。だが半兵衛からしてみればどんなことを思いつくかわからないも者など両手で足りぬ程見知っている。それ故に反論をしようとやや身を乗り出して官兵衛へと身を密着させたが、急に首根っこを掴まれると引き寄せられ唇を吸われた。

「理由がなくては興じられんのか」

突然のことに半兵衛は何度か瞬きを繰り返したが、確かに、紛うことなく官兵衛の顔が、近い。至近距離と言ってもいいほどの距離に詰めたのが己でも無く官兵衛で、そのせいで狼狽してしまった自分自身に驚きも隠せなかったが、やはり官兵衛から行動に及ぶのは珍しい。
ぺろりと猫が唇を舐めるように僅かな面積で官兵衛の唇を濡らす。
言葉とは裏腹に遠慮がちに背へと回される硬い手の感覚に、思わず笑みが漏れた。愛しくて愛しくて、仕方がなくて熱を帯びる耳朶へと噛みついた。

「理由がなくても誘っていいんだよ」

返事は無かったが、その態度こそが一番彼らしい返事であるということに気付いているのだろうか。恐らく気付いてはいない。そこがまた可愛くて、愛しくて少しばかり腫れあがった頬を撫でる。するとこうもタイミングよく、と言わんばかりに大豆の入った袋の重心が傾き二人の傍へと転がり始めた。その様子に両者共一瞬呆気に取られてしまったが、半兵衛が可笑しそうに笑いだすと官兵衛も耐えきれずあまりのタイミングの良さに笑みが漏れた。
流れ切る様子を見ていた所不意に半兵衛と眼が合い、やはり笑ってはいたのだが先程の笑みとは幾分か違っていた。何が違うのか、結論に行きつく前に半兵衛は官兵衛の上へと乗り上げたままの状態でその腰付近へ手を伸ばし、転がってきた豆を手にした。ガリッと歯音を立て齧ると一層笑みが濃くなる。

「…って言って見たけど、豆見ぃ〜つけた。官兵衛殿も覚悟してくれるみたいだし、何しよっか。俺しかそんなこと考えない、だなんてお墨付きも貰っちゃったし、試してみる?これって鬼の内、になっちゃうのかな。ねぇ官兵衛殿、どう思う?」

にこにこと、至極楽しそうに笑えない冗談を笑顔で告げる半兵衛の手には、再び掴み上げた多量の大豆。決して大きいとは言えないその手の中一杯に溢れる大豆を排除した所で、雪崩のように転がってきた豆は無数にある。 官兵衛は珍しくも緊迫した様子で生唾を飲み込み、首をゆっくりと左右へ振った。普段、睦言となれば大抵のことの主導権を放棄する官兵衛が拒否するとあっては珍しい。
だからこそ、やりたくなるのが人間の男と言うものだ。




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