逢坂



逢坂

「新しい水晶だ」

官兵衛の室にて見たことのない水晶が置いてあったのを見逃さずに、半兵衛が近寄っていく。赤緑青と几帳面な官兵衛らしく丁寧に並べられたその奥に、赤い水晶が置かれていた。丸い球体の上に金色の細かな装飾がされた物で、装飾物の少ない官兵衛にしてみれば随分と珍しい。
最初は何の装飾なのかもよくわからなかったのだが、よくよく見るとそれは鬼を模っているようで半兵衛は思わず官兵衛の左手へと視線を向ける。それからことりと水晶を床の上に置いてぽんぽんっと軽く叩いて見せた。

「官兵衛殿ってそんなに鬼が好きなの?右手も左手も鬼じゃあ、俺と手も繋げないじゃん」
「そのような機会は無い」
「じゃあ機会があったら…って、そうじゃなくて。官兵衛殿が装飾品をつけるなんて珍しいね」

官兵衛は節約家であることは半兵衛もよく知っている。だからこそ、壊れてしまうかもしれない物に金を掛けるなど珍しいと思ったのだ。官兵衛自身もそれはわかりきっていることなのか、半兵衛が手にした水晶へと視線を向けると重々しく唇を開いた。

「それは、黄泉戸大神と言う代物だ」
「黄泉戸大神……って、あの古事記とか日本書紀とかにあるイザナギとイザナミのうんたらっていう…アレ?俺さ、まずその辺の神話とか信じてないのね。だって嫌じゃん?イザナミの嘔吐物から出来た領土とかだってあるんでしょ?なんかウワーって思っちゃう。それに切支丹な官兵衛殿がこの国の神の話とかするのも凄い違和感」
「でうすは世界を見守っておられる。彼等はこの国の創造主だ。故に彼等はでうすからの遣いの者やもしれん」
「わー…凄いポジティブ」

半兵衛の記憶を辿っていけば黄泉戸大神とは、火の神を産んで亡くなった妻のイザナミを焦がれるあまり、イザナギは黄泉国まで行くがかつての美しい妻はただの腐敗した死体になっており、その姿に恐れをなしたイザナギが黄泉比良坂にて黄泉路を塞いだ際に使った大岩の名前がそれであった。
半兵衛なりに官兵衛の痛いところを突いたつもりでいたのだが、予想外の答えに思わずあんぐりと口を開けて、パチパチと乾いた拍手を送った。正直半兵衛には宗教に加担する思想が理解出来ないでいる。故に官兵衛の切支丹もそこまで熱心ではないのではないかとすら思っていたのだが、どうもそうとは言い切れないらしいことを今、身をもって知った。
しかし、だからこそ切支丹である官兵衛が『黄泉戸大神』等と大層な名前を持った水晶を手にしていることが不思議でならない。幾ら官兵衛曰く、『でうすの遣い』であったとしても、それは官兵衛の憶測であり、妄想である。聞けば聞くほど理解しかねるのだが、下手に突っ込んで切支丹の話をされても興味が無いので困るのも事実。
少しばかり話を変えようと数秒間思案して、ふと疑問に思ったことを口にした。

「ねぇ、確か岩は二つあったよね。道反之大神と黄泉戸大神。なんで黄泉戸大神の方なの?あっちって黄泉国の入口を塞ぐ方でしょ?官兵衛殿はこっち側の人間なんだから道反之大神でいいんじゃないの?」
「……此方側のみ塞いでも悪鬼は簡単に出てくるやもしれん。故にあちら側も塞ぐべきだ。だが誰も行きたがりはしない、だから私が置きに行く。その為の道具だ」

少しばかり躊躇うように口を開く官兵衛の言葉を聞いて、半兵衛は米神の辺りを曲げた指の関節で押しやる。官兵衛の思考は生真面目過ぎて頭が痛くなる。もう少し柔軟に物を考えられないのかとも思うのだが、それが官兵衛であり、官兵衛自身を形成するものだ。
半兵衛は手にした水晶を手に、官兵衛の方へと転がそうとしたが手を止めた。今までの水晶であれば飾りが無い分素直に転がっていったが、この大層な名前を持った水晶は装飾が邪魔で転がりそうにもない。そしてそれを壊せば官兵衛から何を言われるかわからない。何といってもあの倹約家で有名な官兵衛が、わざわざ装飾を施す程のものなのだから。
大人しく水晶を手にして官兵衛の傍へと置くと、数歩後ろへ下がってその場に胡坐をかいて座りこむ。水晶と官兵衛を指さすように掌を翻した後、その手を己の額へとあてた。

「つまりは自己犠牲、ってやつだ」
「私はそれを自己犠牲とは思わない。私はユダだ。私が裏切り、岩を退かして悪鬼を呼び起こしてしまうかもしれない。この左手はその為の手だ」

淡々と己の考えを述べていく官兵衛の意思はいつも固い。
人のそれとは違う、所謂『鬼の手』と呼ばれる金属で出来た指の先を何度か握っては開き、官兵衛はその様子を確かめていた。開くたびにギッという短い音がして、閉じるたびにまた、ギッと音がする。半兵衛はその音が、存外好きであった。
人は皆『黒田官兵衛は悪魔に魂を売ったのだ』と言うが、その手が何故官兵衛の手に移植されたか半兵衛にはわかっている。だがしかし、勿論己も含めであることは否定出来ないが、大して切支丹のことを知らない者がよくも『悪魔』等と口に出来たものだと小馬鹿にしていた。 官兵衛が口にした『ユダ』のこととて、半兵衛には何のことだが検討がつかない。だが恐らく、内通者か裏切り者か、つまりはそういうことなのだろうと勝手に解釈をした。

「官兵衛殿が裏切ることは無いよ」
「過信し過ぎだ」
「だって信じてるもん、当然でしょ?俺達は仲間で、同僚で、相棒で、親友で、恋仲だし。これだけ繋がっていて信じない方がどうにかしているよ。ああ、勿論官兵衛殿が俺のことを信じられないっていうならそれを否定するつもりはないけど」
「だからこそだ」

官兵衛のことを信じているのは嘘偽りない確かな言葉であるのだが、官兵衛にそれを強制はしない。ただ、そうであればいいとは思っていると思いの丈をぶつけると、官兵衛からも肯定の言葉が返ってきたことにわかっていたとはいえ、少しばかり安心した。
しかし、だからこそだと言う官兵衛の言い分を理解するには、半兵衛の思考は少しばかり官兵衛と違う。違う人間なので当然のことではあるのだが、そういう時に半兵衛はもどかしさを感じてしまうのだ。先を促すように半兵衛が聞きの姿勢を取ると、官兵衛が少しばかり困ったように表情を曇らせた。何か、言いにくいことらしい。
だが大体この手の話をして、官兵衛の言いづらいことぐらい半兵衛には想像がついている。
要は気恥かしいのだ。

「…私が死んだら入口に岩を置き、追わないように、追われないように道を塞ぐ。仮に卿が先に逝った場合はこれを戒めとして追わぬようにする」
「う〜ん。言いたいことはなんとなくわかるけど、それってつまり俺は自惚れて良いってことだよね」
「好きに解釈すれば良い」

ただ単純に、官兵衛が武器に装飾品をつけるなどと珍しいと思っただけなのだが、思わぬ嬉しい言葉に笑みが零れる。畳みの上を這うようにして輝きを帯びる官兵衛の水晶に触れると、何度か緩く撫で遣った。それから徐に官兵衛の左手を取り、金属部分から関節一つ一つをなぞるようにして撫でる。触れるたびに人間のそれとは違う感触に、わざとギッと小さな音を立てた。

「俺がイザナギだったら、喩え官兵衛殿が蟲に喰われていようが、雷に引き裂かれていようが声を聞けるだけで満足しそうだけどね。だって外見で恋している訳じゃないし」
「………人を勝手に殺すな」
「…ねぇ、今凄く良いこと言ったんだよ俺」

官兵衛の考えていることなど杞憂だと伝えたかったのだが、どうやらそれは伝わらないらしい。死後の世界等考えることも、存在するとも思ってはいないのだが官兵衛がそう言うのならば話にのってやらないこともない。
死して尚、あの坂で逢えるのならば、その程度随分と容易いことではないか。




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