小さな来訪者



小さな来訪者

天気の良い日であった。
このような日に昼寝をしないなど珍しいと、半兵衛は自己満足に浸りつつ己の部屋よりももっと居心地のいい場所で眠りにつこうとしていた。行き慣れた道を歩いて、松が生い茂り緑にあふれた庭を横切ると半兵衛は少しばかり眉根を寄せた。半兵衛の行先はいつもの通り官兵衛の室なのだが、珍しく障子が開いている。官兵衛はどんなに天気の良い日でも中々障子を開けず、薄暗い部屋に籠っていることが多い。だからそんなに顔色が悪いのだと彼に苦言したこともあったのだが、改められることも無かったので半兵衛は誰か先客がいるのかと、ゆっくり歩を進めて行く。
じゃりっと石を踏む音がすると半兵衛は柄にも無く慌て、ゆっくりと音を立てぬよう忍び足で近づいて行くと官兵衛の室の前に茶虎の猫が居た。猫は半兵衛を見るなり、驚いたように目を見開いた後威嚇するように毛を逆立てた。グルルルと喉を鳴らす猫を見て困ったように頭を掻いてはその奥にいるであろう官兵衛の室を遠目に覗き込む。
こちら側に顔を向け、横になり眼を閉じていた。周りに人の気配は無い。一瞬具合でも悪いのかと思ったが、官兵衛の顔色で具合を判断するのは難しい。それによく眼を凝らしてみれば、穏やかな顔をしている。どうやら眠っているだけのようであった。

『珍しい…』

官兵衛に近づこうと一歩足を踏み入れると、茶虎の猫が更に威嚇してくる。これではまるで官兵衛を守る番人のようだ。猫に守られる官兵衛等可笑しくてしょうがないのだが、そうこうしているうちに官兵衛が目覚めては元も子もない。
猫を追い払うように手を左右へと振ると更に怒った様子を見せるので、半兵衛はポケットの中をまさぐり何かを取り出す振りをして、まるでそれを遠くへ投げるかのように腕を振り下ろす。茶虎の猫はそれが気になって仕方がないのか、一度半兵衛をじっと見た後そちらへと駆けて行った。

「ばァか」

可笑しそうに声を漏らしつつ、縁側へと膝をつき身体を伸ばす。伸ばしながら器用に高下駄を脱ぎ捨てると這うようにして、官兵衛と同じ目線のままゆっくりと近づいて行く。やはり、ただ眠っているだけのようだった。 しかしそれがまた、珍しい。傍に書物の類も無いので休憩と言う感じでもなく、障子は開けっ放し、人の気配に過敏な官兵衛が気付いてもいないようだった。
官兵衛の顔のすぐ傍まで近づいて、じっと見つめる。普段至近距離で見つめることはあっても寝顔をこんなにまじまじと、明るい場所で見たことは数える程しかないだろう。

「寝顔は、穏やかなのにね」

いつもの仏頂面とは違い、多少の顔色の悪さはあるものの良い人に見えなくもないその穏やかな寝顔に、ぽつりと本音を漏らす。暫く黙って官兵衛の寝顔を眺めていたが、此処まで官兵衛が起きないのも珍しい。何かをしても起きないのではないかと思うと、無性に構いたくなる欲求が込み上げてくる。

『可愛い…食べちゃいたい』

ふっと軽く息を吹きかけて反応を見てみる。一瞬、僅かに反応をしたように見えたがすぐに寝入ってしまった。鼻先と鼻先とを近づけて、それから少し顔を傾けて官兵衛の鼻先を口に含んだ。べろりと鼻の頭を舐めると流石に違和感を覚えたのか、官兵衛の瞳が開かれ穏やかな顔からいつもの仏頂面になっていた。

「何をしている」
「食べたくなったから」
「やめんか」

半兵衛を振り払うようにふいっと顔を背ける。咥内で官兵衛の鼻が擦れて、離れて行く。唾液で濡れたせいか妙にすーっとする鼻の頭を拭おうともせずに、官兵衛が起き上がろうとするがそれを阻止するかの如く半兵衛が、その身体の上に覆いかぶさる。
乗りかかった際に官兵衛の衣服に白と茶の毛が点々とついているのを見つけると、官兵衛には見えないように摘み上げ、ふっと息を吹きかけて吹き飛ばした。なんとなく、官兵衛が横になっていた理由がわかり始めてくると少しばかり妬いてしまうのだが、その相手ももう此処には居ない。
甘えるようにごろごろと動き回り、それからまた官兵衛の鼻の頭を狙うように唇を寄せてくる。此処で振り落とすことも出来るのだが、それをする気力は寝起きの官兵衛にはない。

「官兵衛殿と暫くこうしてたい」

再び鼻の頭に喰らいつくような素振りを見せたが、官兵衛は身動き一つせずにその様子を眺めていた。不意に唇が触れ、微かに瞼を上げる。いつもよりも若干開いた眼に、眩しいぐらいの光が入り昼寝をするには適温なのかと思い直すと官兵衛は一度、半兵衛の頭を軽く叩いた後何も言わずに眼を閉じた。
寝た振りをしていると言うことぐらい、半兵衛にはわかっている。半兵衛がわかっていることを、官兵衛もわかっている。だがこうでもしなければ素直には受け入れられないのが、官兵衛なのだ。
官兵衛からの許可も得た。振り落とされる心配も無く、上に乗ったままでは寝苦しいだろうと、そのすぐ傍に陣取りそっと寄り添っては官兵衛を抱き締めた。

「だいすき」

返事は無かったが、変わりに腰を引き寄せられた。
天気は良好、障子も開いて日の光も差し込んでくる。この独特の、嗅ぎ慣れた人の家の匂い。
そして横には愛しい人。
今日はいつもよりもよく眠れそうだ。




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