いちねんにいちどだけ
暑い日のことだった。自分を狙って降り注いでいるのではないかと思う程に太陽の陽射しが眩しく、それでいて追い打ちをかけるかの如く無風。 暑いとダレている場合ではないことはわかっているが、やはり暑いものは暑く、思考と行動とがともわなかった。 団扇を使って送られてくる風とて温く、嗚呼何もする気がおきないと簀の子の上にごろりと身を横たえた。 畳の上よりかは幾分涼しい簀の子の上で、ゆっくり、目を閉じる。 贅沢を言うであれば、あと此処に氷があればと思った矢先、城内に盛大な怒鳴り声が響き渡った。 折角人が暑さを紛らわせて良い気分でいたものを、と思わない訳では無かったが、どうせまたくだらない取り入りか直訴だろうと思い、そんなことには慣れてしまっている門番がすぐに追い返すだろうと思っていた。 思っていたのだが、門番の声は聞こえなくなるどころか段々大きくなっている。次第に人が集まって来たのか、更なる騒音となって伊達の耳に響いた。 もうすぐ終わると思い続けてどれほどか、ついに耐え切れなくなって伊達は立ち上がる。 ドスンドスンと怒りをあらわにして、廊下の板が抜けるのではないかと思う程踏み締めて歩きながら、伊達は庭に下り草履を履いた。 国主まで駆り立てるとは何事かと、腹を立てながら門前へと向かう内に、聞き覚えのある声にまさかと、この暑い中、まさかと思っただけで背に冷や汗が走った。 そんな事あるはずがないと思いながらも、自然、足速になってしまう。門が近くなるにつれ響く門番の声と、聞き慣れた暑苦しい声。 「か、兼続貴様…!!何をしておるか!!!」 嘘でいて欲しかった。幻聴でいて欲しかった 。 何故かと問われれば、堂々と敵本陣に単身で乗り込む馬鹿が何処にいる。と答えるに違いない。 だがやはり、この男は馬鹿というかことごとく伊達の期待を裏切ってくれる。 伊達の声を聞くと門番は礼をし、名を呼ばれた直江は不服そうに伊達を見た。 「全くもって怪しからん。犬には犬の縦社会があると聞いていたがそれすらもまともになっていないとは」 頂点に立つ者が悪いからだ、とあからさまに態度出して告げる直江。 そういう貴様こそ場を弁えろと言ってやりたかったが、此処は耐えた。どんなに青筋が浮かんでいようが、怒りに身体が震えていようが口には出さなかっただけ耐えたには耐えた。 そして家臣が伊達の怒りを感じ取っていながら、まったく気付いていない直江はある意味称賛に値するとすら思ったが、むやみに伊達の怒りを買いたくない為やはり家臣一同も、耐えた。 「…直江山城守、よくぞ参られた。部下の無礼はこの政宗の顔に免じて許して頂きたい」 「貴様の顔等見飽きた。それに私はこの門番に怒っているのではなく、犬社会の不義について怒っているのだ!!!」 相変わらずと言うべきか、マイペースな直江には場の空気を読むという選択肢はないらしい。 折角伊達が取り繕っても直江がすべて台なしにしてしまう上、言っていることも意味がわからない。しかし伊達は耐えた。二度耐えた。どんなに露骨に態度に出ていようと、伊達は耐えたのだ。 此処でいつものように暴発させては、やはりいつもと変わらない。 山犬の根城と言って、近い割に奥州にあまりやって来ない直江が単身で来たからには何か理由があるのだろうと思っていたのだ。 だから耐えに耐えて耐え切ったのにこの男、狙っているのかと思うぐらいことごとく地雷を置いていく。 元々、殊更直江に関しては沸点の低い伊達である。ぶちギレそうになった途端、直江の手を引き城内へと招き入れた。それはただ単に自分が取り乱す様を家臣に見られない為でもあったが、何よりこの炎天下。外にいるのが耐えられなかった。 ピシャリ、暑さのため開けていた障子も戸もすべて閉められ、直江は少し怪訝そうに眉をしかめた。 これでは室内に熱気がこもり、とてもじゃないが居心地が良いとは言えない。 「暑くないのか」 「暑い」 「ならば何故開けぬ」 「誰にも聞かれたくないのだ。大体、敵陣に単身で乗り込むなどと馬鹿げた真似をする男などわしは初めてみたぞ!!」 「馬鹿とはなんだ馬鹿とは!!わざわざ奥州まで来た客人に申す言葉か!」 それから発火して言い合うこと数十分。やはりあの場でやり合わなくて良かったと思うほど稚拙なやり取りに、もしや密会と聞き耳を立てていた家臣も皆、部屋に戻ってしまった。 流石にずっと喋っていると疲れるもので、加えてこの暑さ。そして目の前には今の世でこれほど暑苦しい者はいないのではないかと思わせる程暑苦しい男、直江兼続。これ以上やりあうのは非常に不利だと判断した伊達は、瞬時に話題を切り替えた。 「して今日は何用じゃ」 「……あぁ!忘れていた。今日は漬物を持ってきたのだ。景勝様にも美味いと言われた私の漬けた漬物だ」 コロッと態度が変わったかと思うとこの男。古典的にも手を叩いて思い出したかのような仕種をすると、何処から取り出したか童程ある桶を目の前にどんっと置いた。 そして得意気にこの言葉である。伊達でなくともこれには驚きを隠せないだろう。先程まで確かに言いあっていた相手が、急に笑みを浮かべて自ら漬けた漬物について自慢するだなんて、やはりおかしい。 食えぬ男だ、そう思って溜息をつく。 「わざわざこの漬物を渡す為だけに来たのか。荷を預けておけばよいものを。少しは我が身の危険も顧みぬか」 「何を言う。今日が誕生日だというから出向いたのだ。荷駄倉に預けてはその気持ちも半減すると言うものだろう」 「誕生日…だと?」 「そうだ。八月三日と聞いたのだが…違うのか」 「では今日が八月三日、か」 「わからん奴だな。そうでなければ私が来る筈が無いだろう」 ぴしゃり、はっきりと断言されてしまった。来るはずがないなどと、改めて言われるとそれはそれで重くのしかかる。 しかし、しかしこの男が自分のために来てくれたという事実は、嬉しかった。 誕生日は小さいころ亡き父が自分以上に盛り上がって、祝ってくれた。自分のこととなると本当に子供のようになる父のことを嫌いではなかったし、むしろ母の愛情が無い分、嬉しくもあった。 その父が死んでからは誕生日などすっかり忘れていた。 忘れていたものをこの男が思い起こさせてくれたのか。そう思うと自然と笑みが漏れてしまい、直江が一瞬明らかに驚いたような顔をした。 なんだ、何が悪いと言おうとしたがぽかんと口をあけている直江の様子が可笑しくて、笑い出す。ははは、と声を上げて笑うとなんだか心底気持ちが良くて、笑いを止めることが出来なかった。 「な、なんだ何を笑っている…!私はただ、お前が歳相応に笑えることに驚いただけで」 「兼続、お前の間抜け面。絵に描かせて留めておきたい程だった。本当にお前は、…おかしな男だ」 しばらく笑っていたせいで喉が痛い。腹の底から笑ったから腹も痛い。けれどもそれは何処か心地よい痛みだった。 誕生日か、誕生日な。心の中で物々と、何度も何度も繰り返す。 こみ上げてくる喜びと、目の前の馬鹿な男。 一年に一度しか訪れないこの男が、一年に一度でも自分の下に来てくれれば それだけで、自分が世界で一番幸せな男。 FIN. 060803 |