散らさで花を



散らさで花を

腹が立つ。見ているだけで苛々する。
 合い間見えるのが戦場でだけだとしても、かの男は一際目についた。妙な形の兜を被っているからだとか、背に馬鹿馬鹿しい文字を背負っているからだとか、瞳があの男を追うのはそのせいだと様々な理由をつけた。
 大体、戦場で白い装束は目立つ。幾ら大将が豪奢な装いをするからと言ってあれはない。そのような事は幾ら自分が若年であってもわかる事だ。そう思った後で、あの男は大将では無かったと苦虫を潰した思いがした。
 そうなのだ。あれだけ前線に立ちながらあの男は大将ではない。上杉謙信という師が居て、上杉景勝という主君が居る。あの男の周りにはいつも、人が居る。温かい人達が居る。
 あれだけ欲した前田慶二という豪傑をも、あの男はいとも容易く得た。自分の中で消すことが出来なかった真田幸村も、あの男と交わりを結んだ。秀吉もあの男の才を愛し、臣下に加えたいと願った。

「兼続め…」

 あの男を見れば見るだけ、自分が惨めになった。あの男は、人を惹きつける何かを持っているのかと、だから人が集まるのかと自問自答してみたが答えは出なかった。
 思わず、壁へ拳を突きつけた。苛々する。思い通りにならないあの男を見ていると無性に苛々する。自分があの男に劣っているところなど、何処にも無いはずであった。否、劣っているはずが無いと信じていた。

「愛か」

 足りないのは何なのかと、気づけば無意識にその言葉を呟いていた自分を恥じて面を上げる。その言葉は義だの愛だのくだらない事をいう、あの男を思い出させる。
思い出すとまた、苛々する。この感情の正体はまだ、掴めていない。嫌悪なのか憎悪なのか、兎も角良い感情で無い事は確かだと、そう言い聞かせていた。





 行き交った山の上から、上杉の軍勢を眺める。静寂とした空気の中に並ぶ「毘」の一字の中に、やはりあの男はいた。
背に「愛」の字を背負った、馬鹿な男だ。
 邪魔をしてやろうと、手綱をとる。馬が一鳴きして、急な斜面にも関わらず滑り降り、そして何事も無かったかのように走る。強い馬だ。それでも欲した男の乗っている馬に比べれば、他の馬など皆赤子ようなものだった。

「ははは、兼続め。背後ががら空きだぞ馬鹿め」

 ドッドッドッド、激しい音と砂煙りを巻き上げ、威嚇用の銃声を響かせて伊達が、吠える。吠えればそれに噛み付くのが直江であり、伊達でもあった。互いに互いを相容れない存在だと認識している。ならば極力関わらなければいい。それでも、そこに居ると視線をそらすことが出来ない。
 伊達の声に直江が振り返り、その白い裾がひらりと舞う。その瞬間だけはいつも、悔しいことに見惚れてしまう。この男ほど白が似合う男はいないのではないかと思って、思った矢先に吠える直江の声で矢張りいつも現実に引き戻される。

「出たな山犬!今日こそは義の名の下に成敗してくれるわ!愛する上杉の兵には指一本触れさせん」
「愛するだと?馬鹿馬鹿しい。二度と愛だの義だのほざけぬようにしてやるわ」

 威嚇射撃なのか当てる気なのか、直江の足元を銃弾が掠める。直江が、びくりと足を引くのを見ると笑いがこみ上げてきてたまらなかった。しかし弾は高いのだ。直江を怖がらせるために使うのは非常に愉快なことではあるが、それで財政を圧迫しては意味がない。
 伊達は拳銃をしまうと、代わりに二太刀を取り出し、笑む。
 馬が一直線に直江目掛けて駆けていく。逃げる姿など見せぬとばかりに、直江は立ちはだかって伊達を打ち払うべく構えて、逃げない。このまま激突させるのも悪くは無い。そう思ったが馬がひらり、直江の頭上を飛んでいく。
 伊達の深緑色の外套が翻って、目を奪う。伊達は馬から飛び降りて銃を構えていた。しまったと、直江が思ったときには遅く伊達が引き金に手を添えていた。そのままゆっくりゆっくり、引き金が引かれるのだと思っていた。
 しかし直江の予想を遥かに上回ったというべきか、裏切られたというべきか伊達の身体が落ちてきて、引き金ではなく自分の襟元を引かれたのだと、そう気が付いたときには再び、今度は近距離で拳銃を突きつけられていた。

「はっ、終いだ。兼続」

 拳銃をつきつけたまま引き寄せて、口付ける。常人より厚い唇は、何処かぽってりとしていた。柔らかいと、そう思った瞬間伊達は勢いよく直江の顔を離す。
 はて、今自分はこの男に何をしたのか。
 自問自答して恥ずかしさのあまり思わず赤面してしまったが、ショックのあまり完璧に硬直してしまっている直江を見ると、恥ずかしさよりも怒りが勝った。拳銃を突きつけたまま負け惜しみでも言いそうな程焦っている自分に気づく。優位に立っているのは自分なのに、自分で自分の起こした行動に訳がわからなくなった。

「見てみろ!ショックで声も出まい。お前がワシに向かって愛する上杉の兵などと言うからだ馬鹿め!」
「や…やまいぬがやまいぬでやまいぬのくちびるがわたしの」

 ははははは、と笑っては見せるが背中にとめどなく流れる冷や汗を隠しきれない。汗が額をぬらし、頬に落ちると再び自分の言動に訳がわからなくなった。
 これではまるで嫉妬ではないかと、そう自分に問いかけると再び頬が蒸気してくる。これ以上は隠し切れない。このままでは不味いと伊達の本能がひしひしと訴えかけてくる。
 奇しくも直江はまだショック状態から抜け出せていない。去るなら今しかないとばかりに、伊達は馬に飛び乗る。飛び乗って、逃げるようにして上杉軍勢の中を高笑いしながら走り抜けていった。無論動揺の内は隠せず、しばらくすると一人座り込んで蹲り、火照った顔を冷ますべく手短な雑草を直江だと思い込み抜きまくった。

「おのれ兼続め…!兼続め…!」

 こんな時まであの男かと思うと腹立たしくあると同時に、先程の出来事を思い出しては沈み行く茜色の夕日の如く全身を赤くさせていた。
 それが夕日のせいで赤く見えたのかどうかは、本人のみぞ知る事である。






FIN.
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